国際陶磁器フェスティバル美濃’11

フェスティバルの歴史を探る


国際陶磁器フェスティバル美濃は、1986年11月2―9日に初開催された。その第1回目を振り返る。

同フェスティバルは陶磁器業界のデザイン意識を高め技術の研鑽(けんさん)により美濃焼の振興と世界へのPRを目的として始まった。多治見市、土岐市、笠原町の東濃地方は1000年を超える歴史ある美濃焼の生産地であり、大小含めた企業が3000を数える生産量国内最大の「やきもの城下町」であるにもかかわらず、当時は美濃焼の知名度が低かった。こうした状況を打破する起爆剤としてフェスティバルが企画された。1983年12月に多治見市で、日本陶磁器工業協同組合連合会と日本陶磁器卸商業協同組合連合会の協力を得て、国際的なコンペティションの可能性を探る検討会が始まった。1984年にはスペインとデンマークに調査団を派遣。美濃焼が国際的に生き残っていくためには世界のデザインを知る必要があり、ヨーロッパ各国の協力も可能との意見も出され、調査団は「美濃で国際デザインコンペの開催」を提言した。翌1985年には岐阜県、多治見市、土岐市、瑞浪市、笠原町、商工会議所、青年会議所などで構成する開催準備委員会を発足。中小企業デザイン国際化振興事業の助成も受け、多治見市役所内に事務局が設けられ、開催に向けての作業が精力的に行われた。

フェスティバル名称は「国際陶磁器フェスティバル美濃’86」と決定。「土と炎の国際交流」をテーマに、国際陶磁器展と国際陶磁器デザインシンポジウム・セミナーを中心とする日本初の本格的イベントが始動した。美濃が世界のデザイナーやアーティストの人的交流や、陶磁器デザイン・技術・文化などの情報交換の場として、国際的な役割を果たしていくことを目指し、以後3年ごとに開催されることになった。

セラッピーくん

セラッピーくん

メーン企画となる第1回国際陶磁器展美濃’86の募集も1986年4月の締め切りを目指し始まった。募集部門は、「未来への胎動」をテーマに未来の陶磁器デザインの方向性を示唆し新しいコンセプトを提案する「陶磁器産業デザイン部門」と、「伝統から革新へ」をテーマに現代陶芸の新しい領域を提案する「陶芸部門」の2部門。開催委員会は出品の要請とPRのため、アメリカとヨーロッパ、中国、韓国に要請団を派遣した。また、マスコットキャラクターを全国から公募。293点の中からポットをイメージした「セラッピーくん」が選ばれた。